CALENDAR
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30     
<<Back 2024年04月 Next>>
LOGIN
現在のモード: ゲストモード
USER ID:
PASSWORD:
NEW ENTRIES
RECENT COMMENTS
■ 奥脇という名前の由来
└ s.okuaki(02/27)
└ hide okuwaki(11/23)
■ ブログを引越しします。
└ okugaku(03/07)
└ yurika(03/05)
└ OFFICE DOYU (03/03)
RECENT TRACKBACK
■ 岸和田観光農園(いちご狩り)
└ 現役栄養士のお仕事日記(04/25)
■ やっと終わった
└ MY Favorite Things(03/19)
■ PDA版にのりかえ
└ 大阪でWEBサイトをプロデュースするということ(01/06)
CATEGORIES
ARCHIVES
LINK
PROFILE
■ 奥脇学(2088)
POWERED BY
script by Blogn+
skin by vivid*face
OTHER
■ RSS 1.0
■ 処理時間 8.579658秒
SEARCH
体重計

奥脇という名前の由来
最近ネットで仕事関係の人がブログとか書いているかなーなんて名前で検索してみたりします。

するとたまにその名前の由来なんか書いてあるページがあってちょっと興味深く見たりします。

でも「奥脇」って名前で検索しても奥脇家の由来なんてページはやっぱりない。

大阪で「奥脇」っていう名前はあまりいないですが、父親の実家の山梨県にいくと、「奥脇」って名前は結構あります。

お墓参りいったときも「奥脇家」の墓があちこちに。

ちらっと親戚の人に軽く聞いた話だと、先祖は真面目な武士だったそうな。本当かどうか分からないですが。

調べたいけど「奥脇家」の由来ってどうやって調べれば良いのやら。親戚は近くにはいないしねー。

そもそもなんで「奥脇」なんだろうかな?地名?なんかの語呂合わせ?考えれば考えるほど調べたくなります。

私の名前で分かっているのは「奥脇 学」の「学」部分だけ。これは父親が産まれた私を見たとき「勉強できそうや」って感じをうけて「学」??だったそう。まあ「学」っていうのは結構シンプルで気に入ってはいるんですが。

でもやっぱり「奥脇」は分からない。分からないことは調べてみたいなーと思うんですが・・・

こんなことに興味を持つのは私だけなんでしょうか。

| もろもろ | 11:41 PM | comments (18) | trackback (x) |
奥秋です。

hide okuwakiさん。情報ありがとうございます。

奥秋加賀守については、下記の書籍にも記述されています。

山元泰生、小山田信茂、学陽書房、2012
伊東潤、北条氏照、PHP文庫、2009

また、生島足島神社には武田信玄に宛てた起請文が残されたいます。
http://museum.umic.jp/ikushima/kishomon/83-ushida.html

なぜ、鎌倉から丹波山に移ったのかまだ分りません。
鎌倉で異変(和田の乱?)があって、落武者になったのでしょうか。


| s.okuaki | EMAIL | URL | 2014/02/27 06:16 PM |

山梨山梨県都留市の菅野地区に住む奥脇です。s奥脇さんの富士大学学長の内容に、驚きの発見をしました。奥脇は、初狩と菅野の地区に移動したと思われます。その子孫が私です。また菅野の地名は小菅の菅をとり名付けと思われます。
| hide okuwaki | EMAIL | URL | 2013/11/23 08:44 AM |

いやー、なかなかむずかしそうですね。

都留文科大学図書館では地元ですし、そのような情報がたくさんあるのかもしれませんねー。
| okugaku | EMAIL | URL | 2010/11/02 11:29 AM |

奥秋です。

小山田了三先生(前富士大学学長)が所蔵する
古文書「甲州郡内諸家傳」には、奥秋家のことが
次のように書かれています。

奥秋家之事
 新羅三郎義光家人裔 此家上下之二家有
 上者衛門佐家老名 下者掃部家老名也 鎌倉之
 此丹波之奥秋小菅之両家分界郡内北方
 建長年小菅一族構事  奥秋兄弟失彼地便当
 家故与田原初狩之内為家人 此時兄弟起上下
 之二家 云上奥秋下奥脇

奥脇家については、次の書籍が
都留文科大学図書館に所蔵されています。

萱沼英雄、奥脇家の系譜、英文書房
萱沼英雄、新倉掘抜:富士北麓開拓史、新倉掘抜遺蹟保存会

是非、読んでみたいと思っています。
| s.okuaki | EMAIL | URL | 2010/11/01 07:53 PM |

奥秋さん、情報ありがとうございます。

すごいですね。

なんだか由来を知れば知るほど、奥脇という名前に誇りがもてるようなそんな気になってきますね。

ありがとうございます。感謝、感謝です!!
| okugaku | EMAIL | URL | 2010/10/31 11:43 PM |

奥秋です。

奥秋と奥脇は、鎌倉の出身で丹波(山梨県丹波山)の奥秋に移ったとのことです。(山梨県丹波山に奥秋という集落があります。苗字はここから発した
ようです。)

建長年(1249~1255)に小菅氏と争い丹波の地を失い、
田原(都留市)、初狩(大月市)に移ったようです。
このとき兄弟は、奥秋と奥脇を名乗ったとのことです。
(苗字は他郷に移ったとき故郷の地名を名乗るようです。
奥秋は田原に、奥脇は初狩に移ったと考えています。)

奥秋は「衛門佐家老名」、奥脇は「掃部家老名」とあります。
よく分かりませんが検非違使と関係しているかもしれません。




| s.okuaki | EMAIL | URL | 2010/10/30 05:54 PM |

奥秋さん、ありがとうございます。

少しづつ分かっていきますね。これはうちの家族に伝えなければ。

奥秋、奥脇と兄弟だったとは・・・・・びっくりです。

ありがとうございまーす。
| okugaku | EMAIL | URL | 2010/10/29 11:26 AM |

はじめまして。
私は奥秋です。

奥脇と奥秋は兄弟であり、新羅三郎義光の子孫です。
戦国時代に甲斐の郡内を支配していた小山田信茂の筆頭家老に奥秋加賀守房吉がいます。

http://www.geocities.jp/yasushinara/zinnmeizitenn9.htm

最近、先祖の供養を兼ねて調査しています。
| s.okuaki | EMAIL | URL | 2010/10/28 12:29 AM |

T.奥脇さまコメントありがとうございます。

この記事書いたら結構奥脇仲間がいるもんですね。

年に一度帰省するのですが、ほんと奥脇だらけですもんね。

全国に奥脇さんはいっぱいいるんでしょうねー。
| okugaku | EMAIL | URL | 2010/05/15 01:30 PM |

はじめまして

私も奥脇と申します。
東京に住んでおりますが
父(存命)のルーツは富士吉田付近らしく
お話に出てまいります大正寺にお墓を建ててあり
年に2回ほど墓参りに行きます。
少年野球をやっていた時、富士吉田に遠征しましたら
相手チームのスタメンの半分が奥脇だったことに驚きました。
僕はベンチでしたが。

失礼いたしました。

| T.奥脇 | EMAIL | URL | 2010/05/14 06:34 PM |

新倉ですか!

うちの親も新倉で、以前私が本籍を変えるまでは、私も新倉でした。

ご近所さんですね。
(といっても新倉って結構広いんですね。今MAPみて知りました)

うちの菩提寺は「大正寺」ですんで、親戚ではないんでしょうね。
お墓には「奥脇」が乱立してますもんねー。

本籍ってことは、今は別のところに住まわれているんですね?
でもあそこらへんって良いとこですよねー。
(高速が無ければもっといいとこなのにね。)
| okugaku | EMAIL | URL | 2006/11/07 12:24 AM |

私も奥脇きです。

私は、富士吉田市の新倉が本籍です。
新倉近辺では、本家の奥脇家で
豪農だったと、きいています。
菩提寺は「大正寺」の近くの、「正福寺」
なのですが、親戚なのでしょうか?
| けい | EMAIL | URL | 2006/11/06 05:31 PM |

奥脇さん、こうやって律儀にコメントしていただくところなんかは真面目なんじゃーないですか(笑)

下吉田駅近くですか!!
ご近所さんですねー。

そうそう日の出族がうるさかったときは土手を登ってよく見物したものでした。

最近も行くたびに癒されます。
冬も富士山のきれいな雪化粧がみれるのでとっても好きでした。

寒さにも強くなりましたしね。

正月には除夜の鐘を聞きながらよく浅間神社(でしたっけ?)に、寒さをこらえながら初詣にいったのを思い出します。

最近は逆に冬に行かなくなったんで寂しい限りです。
| okugaku | EMAIL | URL | 2006/06/28 04:04 PM |

うちの奥脇家は全然真面目じゃなくて・・・。お恥ずかしい限りです。
本家はみんな真面目なんですが、父が突然変異したんですかね(笑)。

うちの父も下吉田駅の近くが実家でした。
あのあたりは特に多いみたいですね。

私は幸い(?)富士吉田で生まれ育ちましたが、高速が通ったあとで、初日の出族の暴走がうるさかったり(最近は厳しい取締りのおかげでだいぶおとなしくなりましたが)、ちょっと連休にもなればあちらこちらが渋滞だらけです。
私は実家を出るまでこの自然に囲まれた環境を何とも思わなかったのですが、今では実家に帰るたびに癒されます。

お盆あたりは涼しくてちょっとした避暑気分になりますね。
冬は帰るのがかなり憂鬱なんですが(^-^;

大阪は今かなり蒸し暑いとか。
お体には十分お気をつけ下さいね。
| okuwaki | EMAIL | URL | 2006/06/26 02:42 PM |

奥脇さん!!
はじめまして。

びっくりです。
そして情報ありがとうございます。

そんな由来があったんですね。
本当になんだか名前に誇りがもてますね。

私の勝手な思い込みかもしれませんが、奥脇って名の人はみんな実直で真面目ですよね。(自分も含め??)
そんな血がやっぱりあるんでしょうか?

うちの親が山梨県富士吉田出身で、生まれ育ったのが下吉田駅の近くなんですね。

おはあちゃんがいてた頃は毎年、夏と正月、年に2回いっていました。
最近はお盆の年1回はいっています。

富士吉田市、とっても良いとこですよね。
高速が走る前までは本当に静かでこんなところで生まれ育ちたかったなと心底思いました。

コメントありがとうございます。
名前が一緒ということで、本当に親近感わきますよねー。
| okugaku | EMAIL | URL | 2006/06/22 07:56 AM |

こんにちは。はじめまして。
私も奥脇です。
私の実家は山梨県富士吉田市です。
うちは分家なのですが、本家では毎年「名字祭り」というのをやっていました。

聞いたところ、奥脇の由来は次のとおりです。

昔は奥脇家も「奥秋」と同じ家だったようです。
おそらく富士吉田市付近で力のある農民だったと記憶しています。
(ここはクロタソさんのおっしゃるとおり、豪族なのかもしれません。)

正確な年代はわかりませんが、江戸時代だと思います。
当時、現在の南都留郡全域あたりを統括していた秋山氏の年貢の取立てがかなり厳しかったため、村の農民たちを守るため、奥脇(奥秋)太郎左衛門初め数人の農民代表が直訴に行ったそうです。(お城は現在の大月市あたりだったと思います)

当時、農民がお殿様に直訴などしようものなら、一家全員ひっとらえられ打ち首の時代。
当然直訴にいった太郎左衛門初め数人の農民は、直訴の帰りに河原で捉えられて打ち首にされたそうです。

このときに、他の家族を守るため、名字を「奥秋」から「奥脇」にひそかに変えたのが、現在の「奥脇家」の始まりだと、聞いております。

この事は我が家の菩提寺である「大正寺(富士吉田市)」にもおそらく記録が残されています。
これを祭った石碑が同寺に現存しています。


私の知る範囲では以上です。
この話を聞いてとても自分の名字を誇りに思うようになりました。

同じ奥脇という名字の人は、富士吉田以外ではほとんど出会わないので、勝手に親近感を覚えてしまいます。

今回たまたまヒットしたokugakuさんのブログを拝見して、由来に興味をもたれているという事だったので、少しでもお役になればと思って書き込みさせていただきました。

同じ奥脇として陰ながら応援させていただきます。
それでは…。
| okuwaki | EMAIL | URL | 2006/06/21 04:28 PM |

クロタソさん。ありがとうございます!!

いやー、こんなサイトあったんですねー。

うちの親戚も「富士吉田市」なんです。ほんと周りは「奥脇」だらけ。

豪族ですかー。うーんすごいなー。もっと調べてみたくなりましたよー。
| okugaku | EMAIL | URL | 2006/06/07 08:59 PM |

奥脇 甲斐の豪族、神氏。奥秋氏に同じ。現在、富士吉田市に多い。 
奥秋 甲斐国都留郡丹波山邑奥秋発祥、神氏。

結構、有力かも知れませんね。

http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm
| クロタソ | EMAIL | URL | 2006/06/07 07:42 AM |











<<NEXT  PAGETOP  BACK>>